敷地は愛知県岡崎市細川町。 承久の乱の後、足利義季が上三河国額田郡細川荘へ移住し、名を細川義李と改め、細川家の始祖となった。 子孫には細川護煕元首相がいる。
地名の通り敷地南側には細い川が流れ、土手には桜が立ち並ぶ。 川と宅地の間の道路には大谷石の擁壁があった。 そのような段々と続く地形を建築の外形にも連続させている。
住人は高齢のご夫婦とその息子さん。 1階はご夫婦のすべての生活が済まされるように広い。 その上に載る小さな2階の床を少し持ち上げることで、暗くなりがちな1階中心部へ光を取り込んだ。
内部では床のズレからチラリと視線のやり取りができ、大人同士の関係性が保てる。
さらに中心の階段室屋根も持ち上げ、換気塔とした。
外壁にはステンレス板、内壁には鏡がところどころに貼られ、庭や街路の緑が映り込む。 内部ではだまし絵のように空間が拡張する。 外壁で跳ね返される視線、窓から奥へ抜ける視線、その奥はハイサイド窓で明るかったり、鏡で跳ね返されたりする。
土手や擁壁といった都市的スケールから内部小窓や鏡といった生活スケールまで連なるさまざまな深さをもつことで、住宅にふさわしい透明性を実現したいと考えた。