ケイタイ電話の終了ボタンを押す。検索によって表示されたすべての会社には電話をかけ尽くした。友人の建築家や施工者に尋ねても誰一人として賛成しない。「むしろ価格は過大となるだろう」彼らは示し合わせたかのように繰り返す。しかし知っている。誰も経験などないことを。
「先祖が植えた杉の山があり、それをつかって家を建てたい」
ひと通りリクエストを聞いた後、話し忘れていたことをひとつ付け加えるようにして建主の口からそれはこぼれ落ち、リクエストの羅列の隙間に書き加えられた。実現したならば持続化社会に向けた最先端の取り組みとなることは瞬時に予見できた。そして何よりそれは28代となる家主の現在地を刻印し、過去から未来へと架け橋を渡していくというという建主の決意表明そのものだった。
最終的に森林組合より個人事業で林業を営む方の紹介を受け森に向かう。
辿り着けるはずなどない、ホームページなど存在しないと笑うその親方は木を手のひらで撫でそして見上げ「良い木だ」と独り言のように呟いたのち、条件が早口で告げられ、まだ頼んでもいないのに次の予定が決められていた。
子供は巣立ち夫婦ふたりとなり、年老いた母親との二世帯住宅が求められた。これまでに海外を含めて官舎を渡り歩き、いよいよ生まれ育ったこの地を終の住処として定めたのだ。
「終の住処とする夫婦の穏やかな生活環境の整備」、「The distance where the soup doesn’t get cold.(スープの冷めない距離)、夫婦、母親の二世帯が親和的関係を形成しながらも互いに独立した生活が営めること」そして「先祖が植えた杉の木を使用すること」が主たるテーマとなった。
本当に色々なことがあった。もちろん良いことばかりではない。でもそもそも「家をつくる」とは人生を凝縮した過程そのものであることを知っている。引き渡したばかりなのにすでに思い出はモノクロームに脱色され美しさのみが語られる。
森の木は構造材や外壁はもちろん、見えることのない羽柄材に、風景を切り取る額縁に、そして足裏から温もりを感じるフローリングとなって、ここでの生活を支え、履歴を刻んでいくこととなる。森の木々は家になった。
「終の住処とする夫婦の穏やかな生活環境の整備」
「The distance where the soup doesn’t get cold.(スープの冷めない距離)、夫婦、母親の二世帯が親和的関係を形成しながらも互いに独立した生活が営めること」
「先祖が植えた杉の木を使用すること」