水戸市郊外、まもなく大洗の海へ流れ出る涸沼川のほとりに、建主が晩年の自己研鑽を目的に建てられた個人住宅であるが、また時折訪れる客人達のために「場」が設けてある。
住宅全体は門屋、砂利敷きの中庭を囲んで回廊、そして主屋とで一つに構成されている。遠く西の水平線に雲のように映る筑波の山並みを背景に、主屋の屋根を瓦の一枚大屋根で覆った。
建物を囲む前庭、東庭、南庭には全て落葉樹の各種をそれぞれ配しており、冬には入口の先代松を除いて春まで緑はない。「冬は枯れるのだ」という建主の考えによった。
個人の住宅は建主の人柄と敷地の特性、そして指名された設計者の解釈によって導き出される特殊解であり、画一化された機械式論理では、建主の夢は占えないのではないか。
施工は今回、実際に仕事をする職人達にそれぞれ分離発注を行うと張り切り、良識ある職人と地元の材料を捜して随分道に迷う事となり、現場日参は300日を超えた。しかし工事中盤、名人建具師ー馬場先氏との出会いにより現場は好転し徐々に竣工へと向かった。
最後の噴水工事が終わった夜、ともに共働した職人諸氏に集まってもらい、中庭の回廊にあかりを入れて、建物完成の姿を見てもらった。そして終始厚い信頼を寄せて下さった建主と、手間暇惜しまず協力してくれた職人諸氏に深く感謝して、建物最後の別れとした。